フランス料理の技法を使った独自の介護食で、味わう楽しみを演出

咀嚼力や飲み込む機能が低下した方、高齢者の方を対象とした食事として、栄養バランスと食べやすさを配慮して作られている介護食。その多くはペースト状で、味や香り、食感、見た目の美味しさなど、料理のクオリティの追求は後回しになっているのが現状です。その介護食が、フードプロデューサーの多田鐸介さんの活躍により、大きく変わろうとしています。多田さんが作る独創性のある介護食はどのようにして生まれたのか。介護食への考え方や取り巻く環境などをお伺いしました。

profile

  • フードプロデューサー

    多田 鐸介(ただ たくすけ)

    18歳で渡仏し、ル・コルドン・ブルー・パリで学び、パリのミシュラン星付きのレストランで修業。92年に帰国後は、目黒雅叙園、タイユヴァン・ロブション、パークハイアット東京などを経て、ドイツの厨房機器メーカーラショナル社にてフードアドバイザーとして勤務。そこで介護食と出会い、現在は医療・福祉の現場を中心に幅広い分野で食のコンサルティングを行いながら、アンチエイジングメニューや冷凍介護食のプロデュースなども手掛けている。

介護食の原点はフランスの古典料理

―― 多田さんが料理を学ぼうと思ったきっかけやフランスでの修行時代について教えてください。

幼少から祖母に料理を教えてもらって、餃子を皮から作ったり、ラーメンのスープを鶏がらから仕込んでみたり、お味噌作りなどもしていました。その影響で、高校生の頃にははっきりと料理人を志していました。学びの場にフランスを選んだのは、単純にフランス料理が一番スタイリッシュだと思っていたからです(笑)。「ル・コルドン・ブルー・パリ」では500年以上の歴史を持つフランスの食文化と、一流の調理技術が学べると知り、進学を決意しました。

「ル・コルドン・ブルー・パリ」の授業の中でも、印象に残っているのは、フランスの古典料理を学んだことです。フランスの歴史が料理に大きな変化を与えたと言われている19世紀は、現在のフランス料理の調理法や考え方の基礎となっています。フランス料理は、古典料理をベースにアラブ・東洋・西洋の料理を融合した料理で、19世紀から今に至るまで、その手法を繰り返してきました。

例えば、内蔵の煮込み。19世紀では一般的な料理でしたが、20世紀後半に一度食卓から姿を消し、21世紀に復活しました。今では大陸から伝わったトマトを加えた内蔵の煮込みは、多くのフランス人から愛される料理になっています。このようにフランス料理は、新しい技法を積極的に取り入れるのではなく、いつの時代も古典料理の技法をベースに、新たな食材や盛り付け方などを取り入れて進化してきました。今、手掛けている介護食もフランス料理の技法を基本にしています。そういう意味では、私の介護食もフランス料理と言ってもいいのかもしれません。


ル・コルドン・ブルー・パリの卒業式にて

卒業後はフランスの一流レストランでしばらく勤務し、「ル・コルドン・ブルー・パリ東京校」が開校すると同時に日本へ帰国。講師をしながら料理人としてもレストランで働いていました。その後ロブションなどいくつかのレストランを経て、パークハイアット東京に勤務。日本のホテルで働いて良かったのは、結婚式やパーティーなど、一度に何百人分の料理を作る経験をさせてもらったことです。何百人が同じタイミングで食べたときに美味しいと思ってもらえるよう、下ごしらえの段取りや調理面での工夫などを学びました。この経験があったからこそ、今、病院や施設で、一度に何十人、何百人もの介護食を作る方法を考えることができているんだと思います。レストランで働いていたときには、こんなに大量に作ることがなかったので、良い経験でした。

また、ホテルに勤務しているときに、ドイツ大使館へケータリングに行った際、ドイツの厨房機器メーカーから料理機器を使ってメニュー開発や調理指導などを行うアドバイザーにならないかとスカウトを受けました。自分が持つ調理技術と食の知識を生かすことができれば面白い仕事になりそうだなと、その誘いを受け、はじめてアドバイザーの仕事を行うことになったのです。


一流食材でなくとも、フレンチの技術で美味しく健康的な介護食を

―― 介護食とはどのように出会ったのでしょうか?

あるとき浜松にある病院に厨房機器の使い方やメニューの指導に伺いました。そこで病院の栄養科長を務めていた方が、今も一緒に仕事をしている金谷節子さんです。仕事を終えて帰る準備をしているとき「もう一つお願いしたい仕事がある」と引き止められ、向かった先はホスピス。そこには余命2週間の末期がんの患者さんの姿がありました。「どうにかして桃を食べさせてほしい」と金谷さんにお願いされ、患者さんは自分で咀嚼できない状態でしたが、飲み込むことならできるかもしれないと、桃の風味を生かしたゼリーを作りました。

完成したゼリーを患者さんの口へ運ぶとゆっくり飲み込み、「美味しい」と小さな声で一言。その瞬間、ぐっと胸にこみ上げてくるものがありました。はじめて三ツ星レストランのシェフというバックグラウンドと関係なく、自分が作った料理を食べて、喜んでいただけた。とても嬉しかったですね。食べたいものが食べられない方のために、料理を作りたい。料理人として自分が目指すべきものはこれだと、強い使命感を感じたのです。ターニングポイントでしたね。介護食に携わる仕事をしようと心に決めた瞬間でした。


多田さんの運命を変えた管理栄養士の金谷節子さん

その後、介護食に携わる上では医学の知識がなかったので、解剖学や生理学、生化学などの医学書を読み、独学で医学の知識を身につけたり、日本料理の基礎を学びました。介護食を食べられる方の多くは、和食の味付けが好きな方が多いと思ったので。小倉の有名な料理人のところにも足を運び、日本料理の基礎技術や調味料の使い方を教えてもらいました。今でも月1回は、新しい調味料の使い方や技術を学びに行っています。

―― フランス料理との違いに戸惑いはありませんでしたか?

介護食にもフランス料理の技法をふんだんに活用しています。裏ごしやフェッテ(泡立て)を用いれば、食材の色を活かし、見た目も美しい介護食をつくることができます。しかもムースのように口溶けがいい。噛む機能・飲み込む機能が低下した高齢者の方でも食事を楽しむことができます。介護食は「食べやすい」「飲み込みやすい」を重視して食材を混ぜ込みペースト状にすることが多く、味や見た目が後回しになりがちですが、食事は人生の楽しみの一つ。食事が進まなければ元気もなくなってしまいます。それならば「栄養価も味も満足できる介護食を自分が作ってみせる」と。これは「自分にしかできない」とも思っています。

最も難しいのは、コストです。高級レストランのように一流食材を使うことはできません。冷凍食品や代替食材を活用したり調味料を変えてみたり、仕入れ先や調理の段取りを見直してみたりと、様々な工夫を重ねました。例えば、穴子料理。穴子をそのまま使うとコストがかかりますが、ナマズを利用することで、コスト面はクリアになります。それに下ごしらえの方法や調味料を工夫することで、穴子料理と間違えるくらい美味しく仕上がるのです。この経験は料理人としてだけではなく、経営の視点で料理を捉えるいい機会になりました。


フェッテという技法を生かした「小松菜と豆腐のムース仕立て。エゴマオイルと辛子のソース」


フランス料理で学んだ、素材✕ソースの掛け合わせを生かした「ソーストマトとピンクグレープフルーツのジュレ バジルソースをかけて」

―― 介護食の開発を通じて、多田さんの食との向き合い方はどう変化したのでしょうか?

美味しい料理をつくるために、フランス料理の現場ではお金や時間、手間を惜しみなくかけていたので、最初は介護食とのギャップに驚きました。限られた予算、かつ食材の条件がある中で調理せざるを得ない介護食は、食の表現も制限されてしまいます。しかし、高額ではないからこそ、より多くの人に「食べる喜び」を感じてもらうことができる。食を通して自分が実現したいのはこれだと改めて感じています。病院では食事の満足度を測るアンケートを定期的に実施しており、「美味しい」という回答が増えていると聞くと、嬉しいですね。


病院や施設に勤務する栄養士向けの介護食セミナー

一料理人という立場を越えて見えてきた、新しい世界

―― 「食べる喜び」をより多くの人に届けるため、多田さんはどのようなことに挑戦していくのでしょうか?

介護食に携わる現場はどこも深刻な人手不足です。その原因は、かっこいい仕事ではないからだと考えています。現場では「美味しい介護食を作ろう」と意気込んでも、まずは様々な制約を乗り超えなければいけません。そのため、この仕事に憧れを持ちにくいのではないかと思うのです。介護食は工夫次第で美味しいものが作れるということを、多くの人に知ってもらうことで、少しずつ改善していきたいと思っています。

その一歩として、現在、調理機器を上手に取り入れることで、少人数でも美味しいものが作れる現場を増やしていく取り組みに力を入れています。現場を変えるということは、現場で働く人だけでなく、現場を管理する病院や施設関係者、食材を納品してくれる業者さんなど、関わる人たちとの信頼関係が大切です。関係各所との信頼関係を作り、目標に向かって同じ方向を向いて実現していく。チームマネージメントのようなことも行っていますね。

また最近では、海外の企業から声をかけていただくことも増えてきました。先日は香港へ出向き、現地の企業と介護食のメニューを開発しました。食文化は違いますが、介護食に対して「栄養価があり、美味しいこと」を求めているのはどこの国も同じです。現地の食文化を研究し、その国の介護食を作りだしていけたらと思います。


香港の担当者と介護食の新メニューを開発

―― 多田さんの今までの経験を踏まえ、食を仕事とするにはどのような土台が必要だと思われますか?

食の世界で活かせる要素は3つあると考えていて、1つは、人に想像させるアイデアを持っていること。例えば、厨房機器メーカーの営業職の場合、売るのが仕事ですが、機器の性能や使い方などスペックの説明だけで購入を検討してもらえるでしょうか。きっと検討すらしてもらえないと思います。どこに設置し、どんな使い方が便利なのか、使ったときをイメージさせることができる人は、厨房機器メーカーや食品メーカーなどで活躍できる人材だと思います。

2つめは、広い視野で物事を考えられること。人がいないために作れない料理がある、という話を介護食を作る現場で聞くことがありますが、ITを導入し、人の流れや作る工程を再構築することで、改善できるかもしれません。課題に対して、業界問わず幅広い視野を持って解決することができる人は、食業界の可能性を広げてくれると思います。

3つめは、一食一食を大切にすること。人生で食事をとる回数は約6万回あると言われています。6万回もあると思うか、6万回しかないと思うか。後者の考え方を持っている方は、一食の価値を知っている人です。介護を受けられている方や入院されている方は、食事の時間を楽しみにしている方が多く、その気持ちに応えたい!と思える人は、介護食や病院食に関わる人として活躍できるのではないでしょうか。

現在の私の仕事は介護食のプロデュースだけでなく、病院食のコンサルティングや地域の6次産業化のプロデュース、レストランのメニュー開発、調理器具メーカーのアドバイザーなど、料理人という枠を超えて大きく広がっています。それは「栄養価も味も満足できる介護食を自分が作ってみせる」という強い信念を持って取り組んだ結果でもあります。先ほどの3つの要素も必要ですが、それ以上に「自分が変える」という揺るぎない信念を持つ人が、食の世界に挑戦してくれると嬉しいですね。


最近は海外でも介護食・病院食のプロデュースをされている多田さん。
高齢化は決して日本だけの問題ではなく世界各国でも取り沙汰されています。多田さんが世界中の人々に「食べる喜び」を届ける日も近いのではないでしょうか。

※写真撮影協力:ホシザキ北関東株式会社