食を通して見る、社会のあり方と人間の営み(後編)
『英国一家、日本を食べる』の著者でフードジャーナリストのマイケル・ブースさんへのインタビューの後編です。前回はフードジャーナリストという仕事について伺いましたが、今回は、ブースさんから見た日本の食文化について、さらに文化やビジネスの視点から、現在の食のあり方と今後の食の行方について、語っていただきました。
profile
-
フードジャーナリスト
マイケル・ブース
英国・サセックス生まれ。トラベルジャーナリスト、フードジャーナリスト。著書に『英国一家、日本を食べる』『英国一家、ますます日本を食べる』(以上、亜紀書房)、『英国一家、フランスを食べる』(飛鳥新社)、『英国一家、インドで危機一髪』『限りなく完璧に近い人々──なぜ北欧の暮らしは世界一幸せなのか?』(以上、KADOKAWA)がある。2010年、「ギルド・オブ・フードライター賞」受賞他、受賞、ノミネート多数。
世界が注目する、シンプルな日本料理
―― 『英国一家、日本を食べる』を書かれるなど、ブースさんは日本の食文化に強く興味を持ってくださっていますが、その経緯を教えてください。
今から10年以上前、私はパリでフランス料理の学校「ル・コルドン・ブルー」に通っていましたが、そのとき、辻静雄さんの『Japanese Cooking: A Simple Art』という本に出合い、大きな衝撃を受けました。少量の肉にたくさんの野菜。シンプルな下ごしらえとシンプルな調理法。季節性と地域性を重視すること。1980年に出された本ですが、西洋のシェフの間で最近言われ出したことのすべてがそこには書かれていたのです。
私はこの本を読んで、急激に日本の食文化に興味を持つようになりました。日本は一度だけ訪れたことがあり、いつか再訪したいとも思っていたので、出版社に、家族でしばらく日本に滞在して日本の食文化についての本を書きたいと提案しました。すると了承してもらえたのです。この提案が通ったのはとても幸運なことでしたが、出版社を説得するのはそれほど難しいことではありませんでした。日本にはいかに独特で魅力的な食文化があるか。寿司はイギリスでサンドウィッチよりも定番の昼食メニューになっているのにも関わらず、いかに私たちが寿司以外の日本料理を知らないか。そうしたことを伝えると、すぐに納得してもらえたのです。
―― 日本料理のシンプルさは、それほど西洋の人にとっては魅力的に映るのでしょうか?
シンプルな料理を、安くない料金で出して客に満足してもらうのはシェフにとって最も難しいことです。それゆえ、シンプルさを重視する日本料理には、料理人の素晴らしい技術が注がれていることがわかります。そうした日本の料理人の技術に、ここ10年か20年ほど、西洋の多くのシェフが影響を受けてきました。
デンマーク・コペンハーゲンに、「世界一のレストラン」という称号を4度も得た「ノーマ」というレストランがあります。北欧には、美食とは縁遠い素朴な食文化しかないと思われてきましたが、ノーマはそのイメージを一変させたのみならず、世界中のシェフたちに大きな影響を与えました。その料理を担当するレネ・レゼピも「日本は世界で最も食文化が豊かな国である」と言っています。彼は、2015年には、スタッフ全員を引き連れて来日し、期間限定のお店を東京にオープンするということまでやっています。
―― 日本料理の最大の独自性とは、やはりそのシンプルさということになるのでしょうか?
素材を生かしたシンプルさの追求はもちろん日本料理の大きな特長ですが、私は、日本料理の独自性としては特に次の3点が挙げられると思います。1つ目は、伝統が何百年にも渡って受け継がれ今も生きていること、2つ目は、地域ごとに全く違った料理がある、そのバラエティの豊富さ。そして3つ目は、作り手たちが1つのジャンルに一生を捧げる「職人性」です。
最初の2点は西洋ではすでに失われています。どこでも同じものを、しかもファストフード的なものを食べる習慣が席巻してしまったためです。また3点目について、私は以前、鮒ずしを作っている人に会いましたが、彼の人生は鮒ずしそのものであり、その子どももまた鮒ずしの世界に生きる人でした。世代を跨いで1つの分野に専心する。そうしたことは、私が知る限り、日本以外では極めて稀有なのです。
―― しかし一方、日本でも時代とともに食文化は変化していて、必ずしもいい方向に向かっているばかりではないように思われます。日本の食のあり方について、課題や問題と思われることはありますか?
私が日本に頻繁に訪れるようになったここ10年の間でも、食の工業化が日本でも急激に進んでいることは感じていて、残念に思っています。また、日本独特の問題として私が感じることの1つは、野菜や果物の外見を気にし過ぎることです。「スーパーモデル」のように形や色がきれいでなければスーパーの売り場に並ばない。それゆえ、必ずしも外見はよくない有機野菜の浸透が、日本ではヨーロッパに比べて大きく遅れているように感じます。そしてもう1つは自動販売機です。自動販売機そのものは便利でよいのですが、砂糖をたっぷり使った甘い飲料ばかりが並び、それらがどんどん売れていくのだとすれば、その現状は変わらなければいけないと思います。
食の二極化により失われつつある食文化。地元文化の再認識に解決のヒントがある
―― 次に、フードビジネスについてお尋ねします。例えばスペインのサンセバスチャンは、ミシュラン星付レストランを数多く擁し、美食天国として観光客を集めています。そのように食をビジネスにつなげる取り組みでブースさんが今注目されている町や地域はありますか?
先にお話した「ノーマ」の成功を発端に、コペンハーゲンは、今やヨーロッパを代表する美食の町となりました。素晴らしいのは、この町はただノーマの成功にあやかろうとはせず、それを機に地元の食材を使った独自の食産業が生み出され、他のレストランやバー、食料品店や食料生産者といった関連する業界全体が盛り上がったことです。コペンハーゲンの食文化の変化によってデンマーク全体の経済までが変わったと言われています。
コペンハーゲン以外でも、地元の食文化の価値をしっかりと認識している地域では同じような現象が起きつつあります。ポーランドのワルシャワでは、「ミルクバー」と呼ばれる食堂が注目されるようになっています。これは共産主義時代にあったソビエト式の質素な食堂を再現したもので、ポーランド人は懐かしさや親しみから訪れ、観光客は珍しさから訪れています。中国でも、同じような古い共産主義スタイルの食堂が流行りだしていると聞きます。またイタリアでは「スローフード」を掲げた動きが成功しています。休みの日に畑に行って農家の人とともに野菜や果物を収穫するところから参加して、料理が出来ていく過程も含めて食べることを楽しむというスタイルです。
―― 日本のフードビジネスの現状についてはどう感じていますか?
日本については、京都の錦市場がまず思い浮かびます。私はここ10年ほどの間、1、2年に一度は京都に来て、そのたびに錦市場を訪れていますが、よい方向に変化しているように感じています。10年前は、市場とは関係のない品物を扱う土産物屋が多すぎる印象でしたが、最近は、食品について説明したり、気軽に試食できるようになっていたりと、市場そのものについて観光客に理解してもらおうという意識が高まっているのを感じます。本来の錦市場の魅力で集客する努力をさらに行う方が、独自性も生きるのではないでしょうか。
―― 食文化やフードビジネスの現状を踏まえて、今後、世界の食のあり方はどうなっていくと思われますか?
様々な分野と同様に、食についても近年二極化が大きく進んでいるのを感じます。つまり、食や健康についてよく考え、食べるものを選ぶ層と、ジャンクフードを好む層との格差がますます広がっています。前者は富裕層、後者は低所得層という傾向があり、経済格差とともにここまで食の格差が生まれることは大きな問題だと感じています。
富裕層はますます食や健康についてよく考え、野菜でもコーヒーでも、驚くほどこだわるようになっている一方、世界の80%の人たちは経済的にも時間的にもそんなことを考える余裕がなく、生活がどんどんジャンクフードに侵されていく。SNSの発達などにより、自分の関心や興味が近い人たちとの関わりを強めるようになる中で、私はこの傾向は今後さらに強まっていくだろうと想像しています。本来、広く共有されるべき様々な食文化が失われていってしまうのではないかと懸念しています。
―― 解決策はあるのでしょうか?
それは私にはわかりません。失われる中で新たに生まれるものもあるので、変化はある程度は仕方ないと考えています。ただ、日本を旅していると、伝統的な食文化をなんとか継承しようと奮闘する若い人たちに出会うことがあります。そのような人たちの姿に私は希望を感じます。また、そうした人たちにとっては、私のような外の人間が興味を示し、「あなたたちのやっていることはすごいんだ」と伝えることが、自らの持つ文化の価値を再確認することにつながるように感じています。
日本には、海外に紹介するべき素晴らしい食文化がまだ無数にあると私は確信しています。私はそれらを世界に広めるための役割をこれからも果たしたい。日本の若い人たちも、こんなに大きなポテンシャルがある日本の食文化を、もっと積極的に世界に売り込んでいってもらえたらと思っています。
自分たちでは当たり前と思っていても、外から見たら実はすごい価値がある、ということがよくあります。ブースさんの指摘は、改めて日本の食文化の持つ魅力や特質について思い返させてくれます。伝統を大切にして受け継いでいくこと、そして同時に、積極的に世界へと展開し、ビジネスにもつなげていくこと。その両面が成されてこそ食文化は育っていくのだということに改めて気付かさる取材でした。
他にもこんな記事がよまれています!
-
Interview
2017.04.19
異国の消費者に幸せを届ける、現地・現物主義の海外マネジメント
イオンベトナム ハノイ
石川 忠彦 -
Book
2021.09.03
農業・農村の6次産業化を読み解く
食マネジメント学部
松原 豊彦 -
Interview
2022.06.30
食に磨きをかけ、日本一の食ワールドをめざす阪神百貨店
株式会社阪急阪神百貨店
中尾 康宏 -
Interview
2017.08.02
楽しい食卓に思いをめぐらせ、八列とうもろこしの歴史をつなぐ
川合農場
川合 拓男 -
Interview
2018.10.23
ダイナミックな多様性に溢れる、食ビジネスの可能性とその未来
ル・コルドン・ブルー
シャルル・コアントロ -
Interview
2017.07.26
ツヴィリング、世界の食を支えるドイツと日本の職人魂
ツヴィリング J.A. ヘンケルスジャパン
アンドリュー・ハンキンソン