2017.11.15

Column

世界無形文化遺産としての和食

2013年12月に日本の和食がユネスコ無形文化遺産に登録されました。その結果、日本国内外で和食の知名度が上がっています。文化遺産登録というと、寿司、刺身、天ぷらといった日本の料理が評価されたように思う方も多いかもしれませんが、実は違います。誤解されがちなのですが、「無形」文化遺産であることに注目して和食を見てみましょう。

profile

  • 明治学院大学 講師

    安井 大輔(やすい だいすけ)

    専門は社会学。国境を越えて移動する人々について、食文化に注目してエスニシティ、ナショナリズムの研究を行っている。好きな食べ物は、刺身とお寿司。食べたことのない味を求めてあちこちフィールドワークを続けている。

文化遺産としての和食とは

無形文化とは、有形の美術品や建造物に対して、演劇や踊り、音楽といった芸能や工芸など、形のない文化が想定されており、和食においても登録されたのは具体的なメニューではありません。「和食をめぐる文化」がユネスコ無形文化遺産に登録されたのであり、それは日本の食の多様性や新鮮な食材、栄養バランス、四季折々の自然の季節感の表現、正月など年中行事との関わりといった特徴があるものとされています。ここでいう和食文化とは、あくまでも日本という土地の歴史や風習と結びついた技能・知識・生活習慣であり、ハンバーグ、ラーメン、カレーライスなどが当てはまるのか否かは問題ではなく、より広い範囲の食に関する文化として登録されているのです。

和食の登録は、2010年のフランスの美食術の登録以来のグローバルな食の文化遺産化の潮流の一部でもあります。これは食が国際的な文化行政の対象となったことを示すのですが、同時に伝統芸能と同じく、保護・継承の対象となったことをも意味します。保護・継承するということは、その文化が危機にあるから守られなければならないものとされたということでもあり、放っておいたら消えてしまうかもしれないので保護対象リストへの申請に至ったというのも和食登録の大きな背景なのです。

一般的な用語としての和食は、日本に固有の食べものや酒と合う食べものを指し、洋食との対比や中華食との区別を可能にする言葉として使われてきました。しかし、文化遺産登録された和食が伝統的な日本の食文化であるとしても、それが日本の食の歴史におけるいつの時代のいかなる階層の人々の食であるのかは不明瞭です。一方で、現在、政策担当者や研究者、実践の現場で日本の伝統食が賛美されるようになり、その趣旨に合うように和食の概念がさまざまなかたちで定義され、保護のための活動が展開されています。

「食」が公式のナショナルアイデンティティになる?

では、食文化を保護するとはどのような施策をいうのでしょうか。ここには厄介な面があります。これまでの日本の行政における無形文化財の場合、保護とは芸能をおこなう特定の担い手を認定して支援することでした。しかしながら、食の場合、食べる人も作る人も限定できません。それゆえ特定の国・地域の食の文化遺産化が政策として実施される場合、その地域のすべての人々を対象としたものとなります。健康的で多様な食材を新鮮な状態で味わう和食を広めていくことに、異論は少ないかもしれません。とはいえ、それまで私的または社会的な営みであった食を公式のナショナルアイデンティティとして設定し、その保護継承のための活動を国民運動として展開するというのはどうでしょうか。

登録申請の文面では、行事や祭りにおいて家族や地域を結ぶことが、日本文化としての和食の役割として挙げられています。ともに同じ食事を食べることで人々をつなげる共同性の創出は、食の果たしている根本的な機能の一つであることは確かです。ですが共食は「和食文化」特有のものではありません。場をともにする人々と食べ物を共有するのは世界中に見られる習慣です。

個食や孤食を問題視する観点から「暖かい団欒」が提唱されることもありますが、ただ形式的に共食をすればいいわけではありません。家庭や学校や会社で気詰まりする食事を囲むのと、ひとりでじっくり食に思いをめぐらす「孤独のグルメ」では、どちらがよりよい食なのでしょうか。またフードコートで自分の食べている料理を前に、原料の獲られたところ、運ばれてきた経路、加工された方法、食べ残しの行く末を思い、食の未来を想像してみる。たとえ健康的・栄養的でなくとも、本当に豊かな食事はどちらでしょうか。

批判、検討をくり返し、真に誇れる食文化へ

そもそもある文化を公式のものとすることは、そのほかの文化を周縁化することでもあります。食文化はさまざまな要素が混淆して形成されますが、一方で諸々の権力関係が交錯するアリーナでもあります。実際に、日本の食は地域ごとの違いが大きく、和食文化を発信する政府機関や諸活動のなかでも各地の多様な郷土食が紹介されているものの、代表的ブランドとして外国に積極的に紹介されるのは、京都の老舗料亭の料理や彼らの技能であることが多いのです。理念的には特定の料理を対象としたものではないにもかかわらず、伝統的とされている日本料理の枠組みに適した料理や調理法が選択されやすいのです。

無形文化遺産の登録には具体的な措置の実施が義務付けられるために、範囲が限定されるのは避けられないことといえるかもしれません。現状の日本の食は危機に瀕しているのだからトップダウンで推進しなければならないという意見もあるかもしれません。しかし日本の食を高度で洗練された健康食としてばかり称揚するのは、文化の名に値するでしょうか。時に好ましく感じられないかもしれない側面をも検証してこその文化。食のことを深く考えるには、舌触りよく感じられる食べものの裏側の、ときに苦いかもしれない味をもたしなんでみる必要があります。食と文化の置かれている社会の問題まで批判、検討してこそ、真に誇れる食文化と言えるのかもしれません。