食に磨きをかけ、日本一の食ワールドをめざす阪神百貨店

7年に及ぶ建て替え工事を経て、2022年4月6日、阪神百貨店が全館グランドオープンしました。地下2階から地上9階まで全11層のうち、4フロアを食関連が占めるほどの力の入れようです。百貨店の顔であり、通常なら化粧品やアクセサリーがきらびやかに並ぶ1階までを、食のフロアとする徹底ぶりとなりました。「食の阪神」のシンボルであり日本一をめざしてきたデパ地下「阪神食品館」もあり、オープン2カ月にして、食関連の売上が全体の約5割と予想通りの好業績を達成。突き抜けたコンセプトは一体、どのように組み立てられ、また実現されてきたのでしょうか。フード商品統括部部長の中尾康宏さんにお話しを伺いました。

profile

  • 株式会社阪急阪神百貨店
    阪神梅田本店 フード商品統括部 ゼネラルマーチャンダイザー

    中尾 康宏(なかお やすひろ)

    1997年、阪神百貨店入社。2000年、主任として売場マネージメント業務、バイヤー業務に従事。2013年、商品部長拝命。仕入れ、改装、ブランド開発に従事。2019年、フード統括部長拝命。新店PJTリーダーとして建て替えに従事、現在に至る。

3つの顧客層と3つのコンセプト

―― 阪神百貨店といえば以前は「日本一のデパ地下」がキャッチフレーズでした。今回の建て替えによりストアコンセプトが「毎日が幸せになる百貨店」となり、食関連の売り場についてはどのように変わったのでしょうか?

売り場づくりの基本的な方向性としては、次の3つを考えました。第1にはやはり「阪神といえばデパ地下」ですから、この伝統をさらに進化させて、新しいデパ地下をつくる。第2が、今までにないまったく新しいタイプの食の提案を行う。そして第3として、飲食にも凝りました。これらを実現するために、地下1階のフロアに加えて、地下2階、1階、9階の4層を思いきって食関連としました。大阪の梅田は百貨店の激戦区ですから、その中で飛び抜けるためには、ブランディングの方向性を研ぎ澄ませてエッジを効かせる必要があります。阪神といえば、原点はやはりデパ地下であり食です。食に徹底的に磨きをかけようと考えました。

―― コンセプトを刷新すれば、想定する顧客層も変わってきますね。

まずは既存顧客を大切にする、これは大前提です。阪神のデパ地下を愛してくれるファン層とも呼ぶべきお客様、建て替え中の不便なときにも来てくださった方々に喜んでいただくのは絶対条件です。その上で新しい顧客層も開拓しなければなりません。建て替え前の阪神百貨店が、どちらかといえば苦手としていた40代までの若いお客さんたちに、ぜひ魅力を感じていただきたい。その上で、建て替え中に離れていかれたお客様たちに、何としても戻っていただきたいと考えました。

―― 新規のお客様に来ていただくための、具体的なアプローチを教えてください。

地下1階の日本一の王道デパ地下は、洋菓子、和菓子、銘店、惣菜、生鮮とリカーの6つのワールドで構成されています。なかでもスイーツが並ぶ約100mの洋菓子ワールドには、新しいデパ地下の売りの一つであり、ここでデビューするブランドや西日本初登場のブランドなどを揃えました。一方で惣菜についても、日本でも有数となるエスニック惣菜を揃えました。ベトナム、タイ、台湾からメキシコまでをカバーし、これまで惣菜として提供するのが難しかったアイテムを揃えたのです。これも惣菜分野での新規のお客様、具体的には若いお客様に来ていただくための施策です。


激論の末に実現した、楽しむ食体験スペース

―― 百貨店のシンボルである1階までを食関連のフロアに変えるのは、相当に思いきった方向転換だと思います。

そうですね。1階の展開については、何度も熱い議論を交わしました。確かに普通なら1階は、化粧品やアクセサリーなどで華やかな気分を演出する場です。まさに百貨店の顔ともいうべきスペース、だからこそ妥協したくなかったのです。新しい阪神百貨店の顔として、本当にふさわしいのは何か。「阪神ならでは」を突き詰めた結果、新しい食の提案に落ち着きました。

―― その1階の象徴ともいえるのが、食祭テラスですね。

食祭テラスは、新しい食の提案を常に発信するための場です。100坪ぐらいの売り場を使い、週替りで催事を行っています。それも通常の百貨店催事とは、切り口が異なります。例えば沖縄をテーマにするなら、よくある「沖縄物産展」ではなく「沖縄のパーラー文化展」と絞り込む。毎週テーマを変えながら1年間イベントを回していくのは、企画立案から出展交渉までを考えると相当にチャレンジングな取り組みです。しかも各イベントには必ず「神」を呼びます。神とは、各テーマに対して常人では計り知れないほど強い思いを持つ、そのジャンルで突き抜けた人です。そんな人物を探し出して、神の考え方や思いを催事で具体化するのです。例えば最近開催したのは「お菓子なオノマトペ」です。


―― 「お菓子なオノマトペ」とは一体どのような内容なのでしょう。

見どころの1つ「涼しげオノマトペ」なら、“しゅわしゅわ”青空のようなクリームソーダ、“とろりひんやり”ソフトクリーム、“しゃりしゃり”食感のフルーツジュースなどを揃えています。ほかにも「もちもち」「カリカリ」「とろとろ」などオノマトペを切り口としてスイーツを集めました。とにかく従来とはまったく異なる視点で、食の楽しみ方を提案する。だからこそ阪神百貨店の新しい顔となりうるわけで、その場所は1階でなければならないのです。

―― 1階にはほかにもパンテラスやおやつテラスがあります。

2015年から建て替えを始めて、2018年にⅠ期棟が竣工しました。ここで4年後のグランドオープンを見据えて、チャレンジングなマーチャンダイジングを試してきました。新たなお客様、それも若い方に来てもらうためには、何が必要なのか。対象となる方たちが読む雑誌の特集タイトルやInstagramのハッシュタグなどもチェックして、食に対する関心事を建て替え期間中に徹底的にリサーチしてきました。そこで浮かび上がってきたのがパンであり、おやつ、さらにお茶やティー、コーヒーなどです。これらを試してみた結果、パンがあれば来てもらえる回数が増えると判断しました。さらに「おやつ」を打ち出せば、新たなお客様に響くと考えたのです。これが銘菓や老舗菓子となると、50代以降のお客様に一気にターゲットが絞り込まれてしまいます。ところが「おやつ」なら若い人にも届くでしょう。結果は狙い通りで、1階には若い女性客がたくさん来てくださっています。

誘い言葉は“一緒に進化し続けませんか”

―― 9階のフードホールにはミシュランに掲載された大阪の超人気店が何店も入っています。しかもその全店が、こうしたフードホールには初出店だと聞きました。このようなお店を集めるのには、かなりな苦労をされたのではありませんか?

実は、各店に対しては「阪神に入ってください」などのお願いは一切していません。そうではなく「新しい食の魅力を提案する夢を、一緒に実現しませんか」と呼びかけたのです。他のどこにもないような食の魅力を発信するスペースを、共につくっていきませんかと。その結果、普通に考えればありえないメニューを実現できました。例えばフルコースが2万円ぐらいするお店からは、コースメニューの中からパスタだけを抜き出して、手頃な価格で提供してもらっています。あるいは焼肉の名店が「はらみ重」に限定してお値打ち価格で提供するといった感じです。

―― ほかに関西の老舗店を集めたレストランもあり、まさに食べる楽しみが揃っています。

とはいえ、これで完成したなどとは、まったく考えていません。食のマネジメントで私が何より大切にしているのは、場の完成をもってゴールと捉えない心構えです。大切なのは、その場所でお客様に何を提供するのか。考えるべきは中身であり、それが食の場合は、日々考えて変え続ける必要があります。9階がオープンしたのは2021年の10月ですが、それ以来ずっと次の進化を模索し続けています。この「現状で満足しない、完成に終わりはない」考え方に賛同してくれるお店に入ってもらっているので、店長会議では毎回熱い議論が交わされています。


人と運に恵まれ、思いを形にできる仕事に

―― 食をトータルに捉える中尾様の視点は、どのように養われてきたのでしょうか?

入社当初は紳士服売り場に配属されました。接客や催事企画が楽しく、色彩検定などの資格もとって、これは天職ではないか思っていたのです。ところがある日突然、食品への異動となり、お酒を飲めないにもかかわらず酒売り場の担当となりました。この異動が今の私の原点といえるでしょう。

―― お酒を飲めないのに、お酒を担当する。なかなか厳しいですね。

正直にいえば、転職も考えたほどです(笑)。ところが、ワインとの出会いが、私の目を開かせてくれました。それどころか実は意外に「飲める」体質だったと気づかせてもくれました。ご存知のように、ワインの世界には実に奥深い文化が広がっています。当然、食事との関わりがあり、グラスなどへのこだわりも半端ではありません。まさにお酒を中心とした世界観に引き込まれ、ごく自然な流れで食に対する関心も広がっていったのです。

―― その後、建て替えからの先行オープンを経て、このたびのグランドオープンへとつながっていったのですね。

2018年にⅠ期棟が竣工し、スナックパークの立ち上げを手がけました。翌年には食品全体の担当となり、2022年のグランドオープンを視野に入れて、4フロア全体を通してみる立場に就いたのです。振り返ると改めて「人」と「運」に恵まれたと、つくづく感謝しています。まずお酒を飲めなかった私にワインを教えてくれたのは、周りにいた人です。この方たちに導いてもらわなかったら、未だに飲めないままで終わっていた可能性もあります。さらに百貨店の建て替えのときに、ちょうど食品全体をマネジメントできる立場にいた。そもそも百貨店の建て替えは、100年に一度もないような出来事であり、そのタイミングに居合わせたのは、運に恵まれたとしかいいようがありません。

―― 食のマネジメントに携わる上で、最も大切にされているのは何でしょうか?

私は、コミュニケーションに尽きると思います。そのためにはまず人に対して興味を持てなくてはならないし、相手に対して思いを伝える努力も欠かせません。コロナ禍で一時的に中断を止む無くされましたが、私の基本は「会って話す」です。食祭テラスに呼んでくる神たちとも、必ず会って話すよう心がけています。食については、さまざまな切り口がありますが、私はエンターテインメントの要素を大切にしていきたい。食は人生を喜びに変えてくれる、そう信じていますから。

食をマネジメントするとは、どういう意味か。阪神百貨店では「食を通じてお客様を幸せにする」が、その答えのようです。だから「日本一のデパ地下」には、日本でいちばんお客様を幸せにしたいとの願いが込められています。まさに食は人生を喜びに変える。取材に伺ったとき、売り場ですれ違うお客様のほとんどが、どことなく幸せそうだったのが印象に残りました。

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