食糧問題の解決のカギは「細胞農業」の普及にあり
「培養肉」という言葉を耳にしたことはありませんか? 「ドラえもん」などのSF作品にもよく登場する、肉の細胞を培養液に浸して食べられるほどの大きさにまで育てた人工の肉のことです。この培養肉が、SFの世界を飛び出し、実際の食卓に登場しつつあります。将来培養肉が当たり前のように食べられるようになれば、地球上の食糧不足、そして畜産業によってもたらされる森林破壊や温室効果ガス排出などの環境問題も解決できるかもしれません。このような肉などの細胞を培養する「細胞農業」を普及させようとしているのが、インテグリカルチャー株式会社の代表取締役を務める羽生雄毅さんです。細胞農業の現状や仲間たちの情熱など、さまざまなお話を伺いました。
profile
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インテグリカルチャー株式会社
代表取締役羽生 雄毅(はにゅう ゆうき)
2010年オックスフォード大学博士(化学)取得。東北大学多元物質科学研究所、東芝研究開発センター、システム技術ラボラトリーを経て、2014年細胞農業の有志団体”Shojinmeat Project”を立ち上げる。2015年インテグリカルチャー株式会社を設立。2018年に3億円のシード資金調達。インテグリカルチャーでは細胞農業の大規模化と産業化、Shojinmeat Projectでは大衆化と多様化に取り組んでいる。
SFへの憧れから始まった培養肉づくり
―― 羽生さんが培養肉を作ろうと思ったきっかけは何だったのですか?
単純に「培養肉ってSFに出てきてかっこいい」と思ったからです。もともと、培養肉で社会課題を解決しようという高尚な考えで始めたわけではないんですよね。そもそも、理系の分野の大学に進学したのもSFが好きだったからでした。大学院を修了したあとは大手企業に研究職として勤務していましたが、プライベートでは自宅で培養肉を育てていたんです。そして、培養肉が育つ様子をニコニコ動画で発信したことがきっかけで細胞の培養に興味を持った人が集まり、2014年に「Shojinmeat Project」という自宅で細胞培養を行う同人サークルができました。ちなみに、Shojinmeatというネーミングは、寺で僧侶が食べる「精進料理」の精進がもとになっていますが、それだけではなく、アジアっぽくて英語で言いやすい名前にしたかったからでもあります。
―― 羽生さんがShojinmeat Projectでやっていることは何なのですか?
「細胞農業」という新しい産業を普及させようとしています。私は培養肉の製造技術というのは食品製造技術ではなく、生もの製造技術だと思っているんですよ。培養技術で増やすことができるのは肉だけではなくて、医療に必要な臓器であったり、毛皮だったり木材であったり、とにかくあらゆる細胞なんです。このような技術を私は「細胞農業」と呼んでいます。
実は、細胞農業のWikipediaエントリーを作ったのも当時大学生だったShojinmeat Projectのメンバーなんです。2015年にアメリカでは「Cellular Agriculture」という言葉が作られたんですが、Shojinmeat Project内でこの言葉を日本語ではどう呼ぼうかという話になったんですね。それであれこれ話し合った結果「細胞農業」という言葉にしようということになり、一般名詞化させるためにWikipediaエントリーを作ったんです。その後、試しに特許庁に「細胞農業」で商標を取ろうとしたら、リジェクトされました。その知らせを聞いて私たちは「よし!『細胞農業』が一般名詞になったぞ」とガッツポーズしたわけです。
―― つまり、もはや細胞農業は一般名詞なので商標は取れなかった。それだけ細胞農業という言葉が世の中に浸透したということなんですね。
そういうことです。実は商標登録の申請をしたときに一番恐れていたのが、ほかの人が別のもので「細胞農業」という商標を取ってしまっていたらどうしようということでした。その心配がなくなったのは、うれしかったですね。
培養肉を低コストで作るためのインフラを提供
―― 羽生さんが会社を立ち上げたきっかけは何ですか?
Shojinmeat Projectでは、お金儲けをしようなどと考えず、ただ細胞農業を楽しもう、細胞農業を世の中に普及させようというサークルのノリでメンバーが思い思いに活動してきました。その一方で、メンバー内で細胞農業が社会実装される前にどういうところでつまずくのかを議論していくうちに、必要なのは官公庁や企業、個人などが役割分担して連携し、共存するエコシステムが必要だという結論が出ました。
新しい技術が開発されても、社会実装に失敗する例はたくさんあります。その代表的な例が遺伝子組み換え食品でしょう。遺伝子組み換え食品では、大企業がその技術を独占して公開しなかったことで、消費者の信用が得られませんでした。それなら、企業や個人などがそれぞれの立場で連携して情報や技術の透明性を保てばいい。それで、細胞農業の普及には企業としてかかわることも必要だと考えて、インテグリカルチャーという会社を立ち上げ、私が代表を務めることになったというわけです。インテグリカルチャーは細胞農業を世の中に普及させるためのインフラを提供しています。
―― インフラですか?
はい。培養肉の研究開発を行い、細胞培養技術を販売しています。こういったことをやるのは営利企業が向いています。インテグリカルチャーのミッションは「みんなで扱える細胞農業」です。培養したいネタは農家やレストランなどがそれぞれ考えればいいんです。そのネタはブランド牛の細胞でもいいし、絶滅したマンモスの細胞だっていい。そして、増やしたい細胞を私たちが開発した細胞培養技術で増やし、できたものを農家やレストランなどが販売すればいいのです。
弊社の提供するインフラとは「CulNet system」と呼ばれる汎用大規模細胞培養技術とそれに付帯するサービス一式です。「CulNet system」は体内に似た環境を作り出すことで、培養肉を低コストで作ることを可能にしています。お客様に設備一式を購入してもらってお客様の手元に置いて使ってもらうこともあれば、我々が持っている設備をお客様が必要な期間だけ使うこともあります。このあたりはお客様の事情に合わせて運用しています。
―― インテグリカルチャーの技術で培養した細胞でできた製品にはどのようなものがありますか?
2023年2月に、アヒルの肝臓を形成する細胞を培養して「食べられるアヒル肝臓由来細胞」を作ることに成功しました。アヒルの肝臓は高級食材のフォアグラとして知られています。現段階では食感までフォアグラと同様にすることは難しいのですが、フランス料理の毛利周太シェフと協力し、「細胞性食品でつくるフォアグラ風味のお出汁たっぷりフラン」という洋風茶わん蒸しを開発しました。また、細胞を培養する中で誕生した成分のなかから、美肌の効果が期待できるものを使って作った「セルアグコスメ」のブランド「CELLAFTY」も立ち上げています。
世間体よりも好奇心が勝つ人が世の中を変えていく
―― 今後の目標はありますか?
直近の目標は、培養肉の安全性ルールを確定させて、2025年の大阪万博に出展することです。将来的には、細胞農業をもっと当たり前にする、大衆化させるということです。たとえば小学生が当たり前のように夏休みの自由研究で細胞を培養して何かを作るような世界を実現させたいですね。
―― 今の仕事の面白さはどのようなところにありますか?
何もないところから始めていくところでしょうか。「こうあるべきだ」と思って進めていけば実際にそうなるところにわくわくしています。将来どうなるかわからない、未知の世界に突っ込んでいくことを不安に思う人もいるのでしょうが、私はそこが面白いと感じるんです。
―― なぜそれを面白いと感じるのでしょうか?
根本的にアナーキーなんでしょうね。Shojinmeat Projectが始まったときは、メンバーと「世の中をひっくり返そう」というノリでずっと進めてきました。10代が開発して大人たちが目を白黒させて驚いているような世界を目指してきたんですよ。世の中には大人の事情で最適解ではないことが惰性で続けられているものがたくさんあります。そこをなんとかできるかも、なんとかしてやろうという期待感を持って動いています。
Shojinmeat Project からは、10代、20代の若いメンバーたちが農林水産省が事務局を務めるフードテック官民協議会に参画したり、非営利団体の日本細胞農業協会を立ち上げたりして、世の中に培養肉を普及させるべく活動しています。10代、20代が国の政策に関わっているなんて驚くかもしれませんが、そもそも培養肉について検討できるのがShojinmeat Projectのメンバーたちしかいないんです。自宅で培養肉を作っているような人たちなので、たとえ若くても説得力は抜群なんですよ。
―― 世の中を変えようという意識を持つためはどうすればいいんでしょうか?
努力してそうなろうとするものではなく、生まれつき世間体より好奇心が勝つような性質の人がそういう意識を持っているのだと思います。いい大学、いい就職、いい結婚、そしてその後は自分の老後のことも考えるのが人生の王道なのでしょうが、私たちのように好奇心が勝ってしまうような人は、そこから大幅に外れて親とは揉めるし、下手すると収入も低い(笑)。でも「世の中を変えてやろう!」という情熱だけはあって、その情熱で突き進んでいるんです。
―― 食に関する社会課題で興味を持っていて何か挑戦していきたいという人にどういうことを期待しますか?
「美味しいものを、お財布に優しいものをよろしく」ですね。培養肉も結局そこが一番大切なポイントだと思っています。新しい食べ物が社会で受け入れられるには、消費者の抵抗感をどう払拭するかなど、議論のしようのない話ばかり先立ってしまいがちなんですが、結局は値段と味がよければ普及していきますから。
―― 最後に、これから食ビジネスをめざす方や学生にメッセージがあればお願いします。
ブロックで遊ぶのって子どものうちだけというイメージがありませんか? でも、ふと考えてみたら、私がブロック遊びをやめたのは24歳でした。いや、厳密にいうとやめていないんですよ。24歳以降はバーチャルな世界でブロックのようなものを組み立ててとても精巧な世界を作っています。その世界を作るときに、ふと核融合やスペースデブリ(宇宙ゴミう)などにも興味を持ち、そういった分野についての本をむさぼるように読んだりドキュメンタリー番組を見たりしていました。子どものころから大人のプレッシャーだけでなく、同世代の同調圧力も無視して、自分が周りからどう見られるかなんて気にせず突っ走ってここまできた感じです。
そんな私が、自分の興味をインターネット動画で発信したら、日本全国から同じ興味をもつ人たちが集まってShojinmeat Projectができてしまった。インターネットのおかげでこれまで会うはずのなかった人たちと出会い、世の中に新しい動きが生まれたんです。世間体を気にしたいい子ちゃんだけの集団の行動というのは、私からはあくせく努力して下のレベルに沈んでいっているようにしか見えません。世間体より好奇心が勝つ、そんな人々が停滞した世の中に突破口をもたらすと考えています。
SFのような細胞農業の世界が現実に。それを推進しているのが10代、20代の若い世代だということに驚きます。細胞農業が当たり前になると、世の中ががらりと変わりそうです。羽生さんたちのチャレンジからは目が離せません。
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