100余年続く昆布屋の挑戦。日本の独自性を伝え残していくために
かつて天下の台所と呼ばれた大阪。全国からおいしいものが集まる食の拠点として日本の食文化を築きあげてきました。その礎には、出汁に欠かせない昆布の存在が大きくあったことでしょう。
大阪市中央区にある、狭い路地が複雑にめぐり、昔ながらの長屋が残る空堀商店街のなかに、昆布専門店こんぶ土居はあります。大手量販店の出現により、専門店は軒並みシャッターをおろし、以前と比べると昆布屋の数は激減しているそうです。手軽で安価な顆粒出汁が増えているなか、昔ながらの昆布屋がどう生き残ってきたのか。その挑戦を四代目・土居純一さんにお伺いしました。
profile
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有限会社こんぶ土居 代表取締役
土居 純一 (どい じゅんいち)
1974年大阪生まれ。28歳のときに先代の土居成吉氏から家業を引き継ぎ4代目店主に。昆布の産地である北海道を毎年訪れ昆布漁にも参加。昆布の品質向上を目指すとともに、漁師との交流を通して業界の課題抽出と改善にも取り組んでいる。その他にも「だしとり教室」を開催するなど、消費者に日本の食文化を伝える活動を行っている。2015年のミラノ万博で昆布だしを来館者に振舞い、スピーカーも務めた。
海外放浪中に生まれた、家業を継ぐ覚悟
―― 長い歴史をもち、風情漂う店構えのこんぶ土居さんですが、土居さんは、幼いころから家業を継ぐことを決めていらっしゃったのですか?
いいえ、実は、私がここを継いだのは今から14年前の28歳からです。それまでは家業の手伝いをしていませんでした。本当に自由にさせてもらっていて、バックパックで各国をまわってオーストラリアの旅行代理店で働いたり、イタリアのレストランのキッチンで働いたり。ずっと父親が真面目に昆布と向き合っている背中を見てきていましたから、いずれ継ぐのかもしれないなとは思っていたのですが、いまいちきちんと向き合えずにいたんです。
20代半ばくらいの時、イタリアに1年くらいいたのですが、その経験が昆布屋をやるという意味では大きなウエイトを占めています。面白かったのは、郷土愛というか、自分たちの食文化に対する思い入れが何しろ強い国なんです。ローカルの極みである自分の家の味が一番おいしいと、本当に思っている人たちですからね。自分の足元にあるもの、その価値をよく知っていてそれを守っていこうとしている姿勢がすごくかっこよく感じました。
一方、日本はどうかと思った時に、そうではないなと。そして、日本の独自性というところでいくと、自分の家業はまさにそれじゃないかと気づかされました。その当時は昆布の価値なんてほとんどわかっていなかったんですけど、今では海外のニーズもすごく高まっていて。それは、やっぱり独自性なんだろうなと。大阪は昆布のまちですから。
―― 海外での昆布の評価はどうでしょうか?
今はフランス、アメリカ、台湾の食材店へ卸しています。流通価格は日本の3倍ほど。それでもどんどん需要は増えてきています。世界的に旨味が注目されているというタイミングもあるんでしょうね。昨年、大阪市から依頼を受けてミラノ万博で講演をしたときも、誰も興味を持たないのではないかと内心ヒヤヒヤしていたんですけど、かなり好意的に受け止めてもらえました。
実は、昆布って日本だけでなく、海外でも、似た海藻が採れる場所もあります。先日、イギリスに住んでいる料理人の友人からアイスランド産の昆布をもらったんですね。味はあまりおいしくなかったのですが、KONBUと袋に書かれていて。誇らしかったですね。どの国にいっても昆布は世界共通で昆布といわれるんです。独自性の強さを改めて感じました。
自らの利益だけでなく業界の未来を見据えて20年先をみる
―― 毎年、昆布の収穫している北海道の漁師さんを訪ねているそうですね。
今年で13年目になります。お客様に売っている昆布が採れる現場をちゃんと見て体験しておきたいというのももちろんなのですが、漁師さんの環境をどうにか改善していきたいという想いがありました。
毎日、北海道から届く昆布の状態を見ていると「この漁師さんの昆布は良い出来だ」「この昆布は揚げるのが少し早かったな」ということがわかってくるんです。だからできるだけそれを漁師さんに伝えるようにして、一緒に良いものを残していけるようになればと。
ただ、昆布の難しいところは、野菜であれば◯◯さんの野菜、と生産者さんの名前を前に出せるのですが、昆布が採れるのは海。個人の所有物ではないので、漁師さんによる自主流通は認められていないんです。
高齢化も進んでいます。ここ30年程で漁師さんの数は半分くらいに減りました。海外での評価はどんどん高まっているのに、昆布漁は苦しい状況なんです。価値に気づけていないというのは、もったいないですよね。この状況をもっと多くの方に知ってもらいたいですし、伝えることも昆布屋の大切な役目だと思っています。
北海道に行くようになって、北海道の漁師町の高校生が昆布屋の仕事を体験しにこちらにも来てくれるようになったんです。17歳ですよ。その子たちが50年後は67歳で昆布漁師をしているのかもしれないなと思うと、気がかりになってくるわけです。そういうことを考えると、この子たちのためにも長いスパンで先を見て仕事をしていかないと、と思いますね。近年、特に不景気が続いていますから、今年来年どう、ということでものごとを判断しがちですが、それでは潰れていってしまう。少なくとも、10年20年先を見据えた取り組みをしていくことが大切だと思います。
人のつながりを生かして事業を多角化
―― 昆布屋を営むうえで土居さんが大切にしていることは何でしょうか?
食の仕事は、良いものとそうでないものの判断をつけることがとても重要です。自分の店ばかりに気を取られていると、それが本当に良いものなのか、わからなくなるときがくるんですね。外と見て比べて、やっとそこに独自性があるかどうかに気づくことができる。だから、私が若い頃、自由に海外に行かせてもらえたことには非常に感謝していますし、北海道の漁師町の若者にもすぐに父親の後を継ぐのではなく、一度外に出ていろいろなことを学んでみろと伝えるようにしています。
私自身、昆布屋を営むうえで、昆布のことだけを追求していても商売はできないことを痛感しています。ミラノ万博でたどたどしいながらも日本の食文化をプレゼンテーションしましたが、自分の言葉で伝えるというスキルもとても大切だと思います。伝えるという行為をすることで昆布という商品に付加価値がつくんですね。私がだしの取り方教室を開催しているのも、そのような理由からです。情報が伝われば、お客さまが昆布を買うときの選び方も変わりますから。
もうひとつ、うちに並ぶ商品はもちろん主原料は昆布なのですが、副原料に使っている沢山の食材のストーリーも、すべて語れるようなものしか置いていません。新しい商品を考える時は、こだわりを持って育てられた食材、もしくは育てている人を探して、納得してから商品を作り出すことを自分に課しています。おかげさまで、昆布業界以外のつながりがとても増えました。新しい出会いがあるたびに、次はどんな面白い商品ができるだろうとわくわくするんです。
人とのつながり。そこには、仕事を超えた人生の喜びを感じています。
生産者、消費者の間に立つ仕事だからこそ、両者のニーズ、傾向にアンテナを張り、良いものを残していくために店の営業以外にも外に出て行く活動を積極的に行う土居さん。老舗ブランドだからこその、古き良き昆布という商品に、様々な情報や体験という付加価値をつけていく姿勢に、専門店の在り方を見た気がしました。
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