ガストロノミアって何?
ガストロノミア、あまり耳慣れない言葉ですね。イタリア語です。英語ではガストロノミーになります。日本語では「美食術」「美食学」と訳され、美味しく料理を調理して食べることだけを指すものと、誤って理解されているようです。もとは古代ギリシャ語で消化器を表す「ガストロス」に、学問という意味の「ノモス」がついた合成語です。
profile
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立命館大学 教授
朝倉 敏夫
(あさくら としお)専門は韓国社会論、文化人類学。韓国の文化について、家族や食の視点から調査研究するほか、食文化に関する研究にも取り組んでいる。国立民族学博物館名誉教授。好きな食べ物はキムチチゲ。
ガストロノミアは、食をめぐる総合的な学問
『味覚の生理学』(邦訳は『美味礼賛』岩波文庫、1967年)の著者、ブリア=サヴァランは、ガストロノミー(邦訳では美味学)を「栄養の側面から言って人間に関係のあるあらゆる事柄の整理された知識を言う」と定義しています。そして、こうも述べています。
“博物学につながる。食用になる諸物質の分類を行う点で。物理学にもつながる。それら食品の成分や性質を検査するから。化学にもつながる。それらをいろいろに分析したり分解したりするから。料理術にもつながる。食品を調理しそれに味覚を快いものにする技術として。商業にも関係がある。いかにしてその消費する食品類を安く手に入れるかに骨折り、またその売り出したものをいかにして有利にさばくべきかに苦心するから。最後に国民経済にも関係がある。その提供するものは課税の対象ともなるし、諸国家間の交易の対象ともなるから”
つまり、ガストロノミアは、食をめぐる総合的な学問ということができます。
食を学ぶ=栄養学という偏り
このガストロノミアと同じような言葉に、オイコノミアがあります。この言葉は、テレビの番組名になっているので、ご存知かもしれませんね。
オイコノミアは、英語のエコノミーの由来となるギリシャ語です。日本では、ふつう家政、家政術と翻訳されますが、もともとは富を扱う専門的な技術のことでした。ギリシャでは「オイコ」すなわち「エコ」は「共にする」という意味で、「ノミア」すなわち「ノモス」は広義の法、規範という意味です。この意味は、ギリシァ語からラテン語を経て英語のエコノミーにおいても残されています。英和辞典を開いてみてください。エコノミーには、経済、理財のほかに、自然界などの理法、組織という訳語がのっています。
では、経済という訳語はどうして生まれたのでしょう。これはもともと中国において「経世済民」または「経国済民」、すなわち世や国を経営して民衆を救うという語から「経済」と抜き書きされたため、中国語や日本語の「経済」という語は、英語に訳すなら、経済政策という経済学のなかでも狭い一つの範囲を示すものにしかならなくなったようです。
先にオイコノミアが「家政」「家政術」と訳されているといいましたが、「食を学ぶ」というと家政学を思い起こす方が多いのではないでしょうか。ところが、日本の大学における家政学部では、なぜか食の分野においては調理学、栄養学といった自然科学に偏ってきたように思います。
こうしたあり様について、文明学者の梅棹忠夫は「食と文明」(石毛直道編『地球時代の食の文化』平凡社、1982年)において次のように述べています。
“食べ物の問題を人間の身体的、あるいは肉体的問題に結びつけて考え、食事を人間の健康法に結びつけるという考え方は、あやまってはいません。古代以来のきわめて伝統的な考え方で、今でも医者の処方箋も、料理の調理法も同じレシピという言葉が使われているのは、医学と料理法の双方の起源が同じであるということでしょう。英語では物質的、物理的ということと、身体的ということを、どちらもフィジカルという言葉で表します。その意味で、食物・食事の問題を、物質的、肉体的な問題としてとらえる考え方は、フィジカリズムと呼ぶことができるでしょう。こういう伝統的フィジカリズムの食物観に対して、近代においてこのうえもない強力な後ろ盾となったのが普遍的科学としての生理学であり、そのうえにたった栄養学でした。こうして、ながく食事を栄養レベルでとらえるという考え方が主流をしめてきたのです”
食文化から一歩二歩進み、食をめぐる問題を解決する
しかし、戦中戦後の絶対的窮乏の時代ならいざしらず、食べ物がじゅうぶんに出回っている今日において、食事のことが文化として認識されることが少なかったというのは、まったく不思議なことです。しかも現代は、栄養だけではなく、食の安全、食の安心、そして食の安楽を求める時代になっています。そうしたなかで、食をめぐっては、私たちの身の回りの問題だけでなく、食と地域振興、食と安全保障、食と人口問題といった地域社会、国家、世界につながるさまざまな問題を抱えています。これらの問題を解決するためには、食「を」研究するだけでなく、食「で」研究する幅広い学問が求められてきます。
現在の家政学部の教育現場においては、従来の自然科学に加えて、食を人文科学や社会科学の視点からとらえる「食文化」が認識されてきていますが、それを一歩進めて、いやさらに進めて、パラダイムを転換し、人文科学、社会科学に、自然科学を加えて食をめぐる問題を解決する学問、ガストロノミアが望まれるのではないでしょうか。
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